内モンゴルとの絆

 
北京オリンピックを境に大きく変わった中国
 
北京オリンピックを境に大きく変わった中国
2008年の北京オリンピックを境に、中国は大きく変わったように感じます。
内モンゴルを訪問するようになった最初のころ、1997年ごろは、北京のような大都会でも、まだ自転車が走っていました。
それが、急速に近代化が進み、自転車に変わって、ほとんどが自家用車になりました。
道路は整備され、空港もきれいになりました。これは中国の大都市に限ったことではなく、内モンゴル自治区も同様です。
緑化支援活動の視察のためによく泊まっていた通遼市のホテルも、最初のころは、お湯のシャワーが出るのは、限られた時間だけでした。
その時間にコックをひねっても、お湯に勢いはなく、ひどいときには、ポトポト落ちる程度のお湯しか出ないこともあったのを覚えています。
それがいまでは、いつでもお湯が出て、インターネットが利用できるようになっています。

中国が北京オリンピックの誘致活動をしていたころ、確か、2000年ごろだったと思います。
内モンゴル自治区は、まだ貧しく、1000円もあれば、子どもたちを学校に行かせられるのに、と嘆いている学校の先生がいました。
視察を終え、北京に移動してみると、オリンピック誘致のため、市内は、電飾でまばゆいばかりに輝き、大きな駅の近くにできたスターバックスは、若い人たちで賑わっていました。
1000円の学費をなんとか工面しようとしていた内モンゴルの人たちがいる反面、同じころ、北京では1杯300円のコーヒーを飲む人たちがいる。
急速に近代化が進み、大きな地域格差が生まれているんだなと、思ったのを覚えています。