生産者STORY

 
G7ジャパンフードサービスSTORY
 
すべてはお客さまの喜ぶ顔のために

株式会社G7ジャパンフードサービス 三木義彦さんに聞く

株式会社G-7食品システムは2015年4月、株式会社G7ジャパンフードサービスとして新たな一歩を踏み出しました。
昭和16年に創業した旧上野食品株式会社。もとは味噌醤油問屋であったこの会社は、旧上野食品社長であった上野俊夫の社長就任を機に、大きな変貌を遂げていった。決して平坦ではなかった70年、その歳月を乗り越えてきた彼らの表情には、学び続けた自信となお学び続ける謙虚さがうかがえる。
 
決して平坦ではなかった70年
 
決して平坦ではなかった70年
「昭和41年、つまり私がこの会社に入社した当時、東京に味噌醤油問屋というのは100軒以上あったんです。しかしいまでもやっているところは5、6軒しかないんですよ」そう語るのは旧上野食品株式会社の三木義彦さん。
和食レトルトシリーズをはじめ、食品の企画・開発・製造を行う。創業は昭和16年、もとは味噌醤油を卸す問屋であったという上野食品が、大きく方向転換を図ったのは、昭和48年のことだった。これまでの道のりは決して平坦なものではなかったと三木さんは語る。
「先代社長である上野利通が創業した上野食品ですが、先代は昭和40年、交通事故で急逝してしまったんです。そこで、上野俊夫が社長に就任しました。当時、上野はまだ大学を卒業したばかり。企業から内定をもらっていたのですが、そちらをお断りし、社長就任となりました」

 
二代目社長の快進撃
 
二代目社長の快進撃
先代の急逝や、まだ若い二代目の就任などを受け、当初は得意先の間で「上野食品は大丈夫なのか」という声が相次ぎ、一時は注文が激減したという。しかし、そこは子供の頃から父の背中を見てきた上野俊夫社長。商人の血を受け継ぐ彼の快進撃が始まる。
「味噌醤油問屋というのは、当然ながら全国の商品を扱います。すると当然、全国のネットワークができるわけです」
全国の味噌醤油の製造元から食品加工会社を紹介してもらった上野食品は、現在の問屋としての得意先の需要と、新しく知り合ったネットワークとをつなげ、製造業を開始する。
「たとえば得意先であるお寿司屋さんから『おいしい練り梅を探している』と相談を受けるとします。そうしたらそれを、上野食品が委託というかたちで食品会社につくってもらい、それを提供する。問屋として、お客さまと密接にやりとりをしてきた関係性を生かし、企画・開発・製造業を開始したのです」

 
スタンカップの誕生
 
スタンカップの誕生
そんな上野食品にとってターニングポイントとなったのが、インスタント味噌汁「スタンカップみそ汁」の誕生。味噌問屋としての経験を生かしたこの商品は大ヒットとなった。
「『スタンカップ』という名前は社長である上野が考えたんです。『トイレで考えた』なんて言っていましたけど」と言って三木さんは笑う。
「響きがよかったというのが決定した大きな理由なのですが、スタンというのは、イースタンとかウエスタンのといった方角の表す言葉のなかにある『スタン』、スタンドアップ、スタンバイの『スタン』から、『あらゆるところに、すぐに届ける』という想いで付けました。また、『カップ』には、カップラーメンのようなお手軽さを込めています。そうして『スタンカップ』というブランド名が誕生しました」

 
釜飯という新たなターニングポイント
 
釜飯という新たなターニングポイント
「スタンカップみそ汁」の大ヒットに自信を持った旧上野食品。彼らの次なる挑戦がGermer Roadでも大好評を博している釜飯である。
「これまで釜飯といえばファミリー向けのもので、炊飯器のお米に混ぜて炊き込むスタイルのものでした。そこで上野は、一人分を付属の釜で炊く釜飯を企画したんです」
旧上野食品が打ち出した釜飯、当初は具材に金物の釜と発火剤をつけて販売し、発火剤で加熱するというものだったという。しかし金物の釜のコストを考え、それよりも安価な素焼きの釜に変更。さらに素焼きの釜は電子レンジで加熱できる。そういった修正によって、旧上野食品が製造する釜飯は一気に広がった。ふんわりと香る出汁とぎっしり入った具材が自慢の釜飯は、ついつい箸が進んでしまう絶品だ。
「釜飯にはレンジで炊けるように、米自体に水分を10パーセントから15パーセントほど含ませた『早炊き米』というものを使っています。電子レンジのマイクロが水分に作用し炊きあがるようになっているんです。もし、水っぽくなってしまう場合は、蓋を少しだけ開けて加熱するか、2分ほど具材に浸してから、レンジ加熱していただければと思います」

 
小さいながらも機能的な工場
 
小さいながらも機能的な工場
釜飯の具材は米は愛知の工場に、具材は福島の工場にそれぞれ委託し、事業所のなかにある工場で梱包している。
「商品はすべて全国各地の工場に委託しています。事業所内の工場で行なっているのは、釜飯の梱包と味噌汁やふりかけなどフリーズドライの具材の袋詰めだけです」
そんな事業所のなかの工場は、小さいながらも衛生的である。紫外線による空気清浄、エアーカーテンで虫が入ることを防いでいる。また、空気中に浮遊する異物は、天井に備えられた装置で、静電気によって殺菌される。さらには、温度を変えずに換気ができるロスナイ換気を採用。異物が入らないよう、細心の注意を払っている。
「工場で袋詰めをしている味噌汁の具材ですが、こちらは職員がひとつひとつ目視による確認を行なっています。油揚げは6つ以上、豆腐は12個以上。それより少ないものはすべてはじいています。多い分にはお客さまもうれしいでしょうからね、そのまま出荷しています」

 
学び続けてきた自信と、なお学ぶ謙虚さを
 
学び続けてきた自信と、なお学ぶ謙虚さを
すべてお客さまが喜ぶ顔のために。その一心で味噌問屋から食品会社に方向転換した旧上野食品。最近では薄味が喜ばれると三木さんは語る。
「でもね、インスタント食品で薄味っていうのはむつかしいんですよ。味がぼやけてしまいますから。塩分を控えるために出汁を強くしたり、試行錯誤を繰り返していますね」
さらに上野食品では、毎週月曜日に社員がいろいろな食材を持ち寄って、勉強会を開いている。
「社長であった上野は商人としての才覚だけでなくアイデアマンでもあるのですが、社員一人一人にもその力がつくよう、営業所にある社員のための台所『セントラルキッチン』を活用しています。まだまだ学ばなければいけないことはありますからね」
70年という、決して短くはない年月生き抜き、2015年4月、旧上野食品はG-7食品システムをへてG7ジャパンフードサービスとして新たな一歩を踏み出した。彼らがお届けする和食の数々には、積み重ねてきた時間に対する自信と、学び続けようとする謙虚な姿勢が詰まっている。