内モンゴルとの絆

 
内モンゴルとのつながり
 
内モンゴルとのつながり
内モンゴル地域は、100年近く前、満洲と言われていた地域の一部でもあります。この地域には、当時、満蒙開拓団として数多くの日本人が移住しました。
満洲国というと映画「ラストエンペラー」を見ても、日本の傀儡政権として描かれ、日本人としてはあまり触れられたくない過去の記憶でもあるのかもしれません。
緑化支援のきっかけにもなった烏雲(ウユン)先生のご家族も満蒙開拓団の一員として満洲に渡りました。先生の生涯を描いた書籍「烏雲物語」にも渡航が決まった場面が描かれています。そこで先生の父、正市が家族に語っています。
〜「これが満洲国だ。この親指が日本人、人差し指が満州族、中指は漢民族で薬指が蒙古族、小指は朝鮮族だ」指を一本、一本折って説明し、最後にぐっとにぎりしめてこぶしにしました。「この五族が仲良く力を合わせることを〈五族協和〉という。わかるな甫(はじめ)」〜(烏雲物語より)
貧しかった当時の日本で明るい未来を切り拓こうとして内モンゴルに渡った人たちは、自分たちが豊かになるだけでなく、かの地の人たちとも手を組み、理想的な地域にしていくために働こうと考えていたことがわかります。
結果としてソビエトが侵攻し、烏雲先生のご家族はバラバラ。生き残った烏雲先生は中国残留孤児として苦労の日々を送ることになってしまいますが、「育ててくれた内モンゴルに恩返しをしたい」ということで緑化活動を続けています。
戦争は数多くの悲しい出来事を残し、繰り返してはならない歴史の1ページではありますが、烏雲先生のように活動されていらっしゃる方がいるのも忘れてはいけないことなのでしょう。