内モンゴルとの絆
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歴史のなかのモンゴル
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今年は、久し振りに、毎週日曜日の夜、大河ドラマを見るようになりました。
賛否両論あるようですが、時にコミカルに描かれる鎌倉時代のドラマが新鮮で、楽しく見ています。
ところで鎌倉時代、日本とモンゴルとの関係というと「元寇」、蒙古襲来のことが歴史の教科書に書かれていたことを思い出します。
鎌倉時代中期、元のクビライ・ハーンが行なったと言われる2度にわたる日本侵攻。しかし、これは日本への領土拡大だけが目的ではなかったという見方もあるようです。当時、元は、南宋に侵攻、中国全土の統一を目指していました。南宋を包囲するため、日本を仲間に引き入れようとしていたようです。
元が攻めてくる数年前、クビライ・ハーンから、元と交流がなかった日本に、友好と親睦を深めることを願う国書が、数回、届けられたそうです。鎌倉幕府はいずれにも返事をすることなく、結果として元が出兵するに至りました。2度の元寇は、元軍の撤退で幕引きとなり、元の軍事的侵攻は食い止められました。
元寇以降も鎌倉幕府は、元と国交もなく、朝貢も行っていませんが、商人は積極的に元と交易をはじめ、貿易は盛んになり、中国からの舶来品、「唐物(からもの)」ブームも起こったそうです。国どうしの交流は生まれていませんが、民間人どうしの交流は育まれていたようです。