金鋒先生一代記

 
外国語と遺伝学を必死に学んだ若き日々
 
外国語と遺伝学を必死に学んだ若き日々
高校を卒業して田舎の遺伝学の研究室に勤め始めた金鋒先生は、勉強に没頭する日々が続きました。
研究室での仕事が終わると図書館へ。
当時は文化大革命後の中国ですから、教科書になるような中国語の研究書がありませんでした。
外国語で書かれたものしかない。だったら外国語をマスターしよう!
外国語も熱心に勉強をしていたところ、ある日、海外の学者が訪れた際、研究室から
「金さん、外国語も上手になりましたね。あなたが先生をご案内しなさい」
と、案内役に指名されました。
そうすると、海外からいらっしゃった先生に
「あなたは語学も堪能ですが、遺伝学の知識も豊富ですね。どこの大学を卒業されたのですか?」
と問われ、金先生は、
「いやいや、私は大学には行っていません。図書館で海外の研究書を読んでいたのです」
と答えました。
驚いたその先生、
「それはもったいない! だったら海外の大学に行ったらどうでしょう?」
と、留学を勧められました。