金鋒先生一代記
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ご両親の反対を押し切って
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ひと目ぼれの彼女とお付き合いがはじまり、順調に交際が進んでいたものの、彼女の親御さんは結婚に反対でした。
中国の大学入試に3回も失敗、受験を断念して遺伝学の研究室に勤務していた金先生。「そんな落ちこぼれの男など、ダメだ!」というのが親御さんのご意見だったのでしょう。しかも少数民族のモンゴル人。
出自や過去は変えることができませんが、努力次第で未来を変えることは可能です。がんばって「博士号」を取得することだってできます。彼女のご両親に、「もし一緒に生活させてくれれば、絶対に努力して『博士号』を取ります」と、伝えたのですが、親御さんは「ダメ、そんな大きいことができるわけがない。なんで大学にも行っていないのに『博士号』が取れるのか」と。
中国ではダメでしたが、海外の大学に通うという方法もあります。それから猛勉強の日々を送ることになりました。かたや彼女とは、「とりあえず結婚しましょう」ということになり入籍してしまいました。
「彼女の実家は蘭州(らんしゅう)甘粛省(かんしゅくしょう)でした。北京から1500kmくらい離れているので、親御さんに会うことはないからです」と金先生。
結婚後も猛勉強を続け、1年半ぐらいして、東京大学の合格証明書を手にすることができました。